読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あすからがんばる

明日のことは書けないブログ

才能ないからやめるのやめたい

日記

文章系専門学校で学んだこと

この記事を読んで少し思うことがあったので書いてみます。

結論から言えば、「才能ないからやめる」っていう人、本当にそれ、才能ないからやめるの?ってこと。

私は「才能ない」という答えを否定はしません。ですが、その答えをする前に、違う答えの可能性を推考してみるべきではないでしょうか。

有吉とマツコの番組に投稿したら「そんなの当人の勝手でしょぉ?」って返されちゃいそうです。まあ、よっぽどのことがない限り、これからやめていく人を引き止めても自分にメリットなんてありませんもんね。

それでも考えてしまったのは、増田の事情とよく似た友人がいたから。彼は高校時代の友人で、卒業後はシナリオライターの専門学校に進みました。「なんで専門学校? せっかくこの高校入れたんだから最低でも大学っしょ?」みたいな空気がある中、そのような決断をしたのは、部活動でゲーム作りの楽しさを初体験させてしまったからかもしれません。みんなでゲームを作るのはとても充実していて楽しいものだと映っていたことでしょう。ただ、その友人を含めて他の部員たちはゲームに使えそうなネタを口にするだけで、現物の制作をしていたのは私一人です。それでも楽しければ私は構わないと思っていたのですが、まさか作ったこともない人間がいきなり専門学校だなんて、思いもよりませんでした。

こんなことになるならゲームを作ろうだなんて言い出すんじゃなかった……。

なぜ後悔するのか。彼は専門学校を1年でやめて、「自分には才能がなかった」と言って今は家族の助けを借りて資格を取る勉強をしています。1年という月日というのは、自分に才能がないことを知るために使うにはあまりに高価すぎる勉強代だと思いました。他人のことなんて言ってる余裕は私にもないのですが、実はこのことは私にも言えることなので重要なことだと思ったのですね。

私は小学生の頃から才能を否定して生きてきました。

私の否定してきた才能とは何でしょうか。99%の努力ができて、1%のひらめきを持っていることです。あるいは、努力と環境と初期ステータスの合計値が一定のラインを超えていることです。

つまり、才能とは自分じゃどうにもならないことでした。

過去に何度か「才能ないからやめる」って思ってて、そして今でも「本気でやったら才能がないことが明らかになるから本気だすのやめよう」って思っています。究極にチキンなのでありました。

才能があると思ってるから、才能を否定できるんですね。

こうして本気を小出しにする馬鹿馬鹿しい器用貧乏が生まれました。だいたいのことをそれなりにできたのもよくありません。周りの人間のレベルに合わせてそれなりにできるようになるための本気をちょっと出すだけ。そうやってうまいこと楽できる環境を見つけて、少しでも環境が変われば違う場所で同じように巣食うのが私でした。これもうやめます。

いつからか「才能ないからやめる」と言い出して、いつの間にか「才能ないからやらない」と言っている自分になりつつあって怖いのです。

才能ないからやめる前に、才能以外の理由を探しました。時間的余裕がないだとか、自分の熱意を割くほどのことではないだとか、理由は様々です。本当にその理由で合っているかは分かりません。実際は、やめたくなったから、やめたのかもしれません。

こうやってやめて行く中で一つ気付いたことがあります。やめたくなったらやめられる領域でやっていたこととやめられない領域まで食い込んでいたことですね。たぶん、前者を趣味と言います。後者は人付き合いとかそういう切りたくない縁がたくさんあるものでした。ソーシャルメディア怖いです。

今の私は立ち止まっている状態なのかもしれませんね。同じ場所に留まるには歩き続けなければいけないのでしょうが、その場所を眺めるには先に行くか立ち止まるしかないんですよ。結局、同じ場所にはいられません。

さて、明日はどちら。