あすからがんばる

明日のことは書けないブログ

修羅場中の同人作家みたいな生涯を送ってきました

毎日忙しいのが辛すぎてちょっと病んだ頃が私にもありました。

ああ、あの頃に戻りたい…

一日にあれしよう、これしようと決めて、それが何ヶ月も先まで決まっているのが大人の時間割なんですよ。一日が40時間なら終わるような作業。デスマーチ

子供の頃も一日にあれしよう、これしようと決めるけど、さすがに数ヶ月先のことは分からなかったし、朝に決めたことだってちゃんとできたのは少なかったです。自由に遊んでいられた子供の時間割に戻ってほしい…

子供の時間割。略して、こじか割です。社会にこじか割を提案したい。

というのは冗談で、時間の使い方について気付いたことがあるので書きます。

大人になると、子供の頃は良かったと思うんですよね。

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この現象は時間に対する大人の価値観と子供の価値観が異なることにより発生するズレから起きるのだと思います。

時間に対する大人の価値観とは、何をするにも時間を定めて行動することにあります。限られた時間で何を得ることができるのか取捨選択しているのですね。できてない人の方が多いと思っていたのですが、普通はするらしいです。合宿に行ったみんなが言ってました。

逆に、子供の価値観とは、すべての時間が自由に行動できることです。限られた時間で何をするかという概念はありますが、それを実行するだけの想像力はまだ養われていない頃ですね。小学生低学年頃の子供を観察していると、おもちゃで遊びだしたと思えばカードゲームを散らかしたり、それでもないとDSを開いて、文句言いながらラジコンで遊んだりしていました。何をしたら良いかを頭の中ではなく、一度やってみてあれでもないこれでもないと体と感覚で覚えていっているのでしょう。

いつでしたでしょうか。明日が今日になって、今日が昨日になった瞬間を知ったのは。きっとあの頃から私たちの時間感覚は24時間に縛られ始めるのです。この瞬間、その24時間を長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれだと思いますが、少なくともその24時間がリミットであることが感覚の中に埋め込まれます。時間に対する価値観を抱いた時、それは時間という概念をよく理解できた時でもあるでしょう。

 

さて、私の話です。

中学生の頃までの私は人と会ったり、映画を観たり、ブログにアウトプットしたりする時間をすべて「無駄」だと考えていました。では、どうして無駄だと考えるのか。それは、私のほとんどの行動の原理が創作のためだからです。大学選びも住む場所も付き合う人までも創作のためです。いかにネタにできるかを第一に考えていました。というか、考えていなくても次第と創作が優先順位に回ってくるのですね。やることないから小説書くか、絵描くか、映画撮るか、みたいな。そうやって題名のないラクガキが増えていって、ある時ハッとして題名のある作品を作ろうとしていたのが高校生の頃から今の私です。

そうすることで、余計に「無駄」という考えは強くなって、何をするにも2年で中級から上級になることを目的にしていました。手に入れては置いていくことを何度も繰り返しました。それはすべて作品のため。一日の時間の使い方は創作活動に24時間で、睡眠や食事なども邪魔なくらい。

それは良くないとは言いませんが、あんまり人らしくないと思いました。芸術家や作家、一部のプロと呼ばれる人たちだけがこの時間割で許されているのでしょう。責任が重くのしかかりますが、かなり自由に時間を過ごせます。子供の場合は、将来を掛けていますが、同じく自由な時間を過ごせます。何かしら極めた先はある程度の自由が待っていて、子供のようにもなれるけど、代わりに責任というおもりが付いている状態なのですね。

最初から自由を求めて、運良く自由を手に入れてもそれは子供の頃の自由とは違う自由です。死ぬまで自由を手に入れられない人も多いでしょうが、私は今がけっこう自由になれているので、今のうちに自由を堪能しておこうと思っています。

 

ところでビュッフェレストランの「まいにちごはん」に行ってきました。

食べたいものを好きなだけ食べる、これが自由なんですよ。