あすからがんばる

明日のことは書けないブログ

言葉症候群

私は子供の頃、親や先生からよく「余計なことを言うな」と怒られていた。いつも無意味な自虐ばかりしていた子供だった。構って欲しかったんだろう。ただ、今はそんなメンヘラ特性はうまく隠せている。特に中学の部活動で何度も怒られたおかげで、独り言を言わないようになったからだ。その代わり、というのは早計かもしれないが、中学のことがあってからこまめに発散していた欲求が別のところへ向かっていた気がする。その一つが小説を書くことだったし、ネットのチャットでもあった。結論として私は構ってちゃんなのだ。

構ってちゃんの成れの果てがTwitterとブログに向かったのだから情けないことこの上ない。Twitterと共にコテハンも捨ててきたが、私の構われたい欲求というのは収まることがなかった。コテハン捨てたのは中学の保健で習った「昇華」というものが起きて、私は一層の執筆へ向かうのだと考えたからだ。しかし、そんなことはなくて、一日の大半を茫洋として過ごすようになってしまう。構われたいがために人に悪口ばかり言うにようになって、嫌われることも一つのステータスだとさえ考えていた。

思ったことをすぐに口に出すのは昔からで、知らないうちに何度も人を傷つけたんだと思う。余計なことは言うし、独り言ばかりだ。口は災いの元と言うが、本当にそれ。正直、必要な会話だけやって生きていけるメンタルが欲しい。じゃあ必要な会話ってなんだって話だけど、そんなの私に分かるわけがない。会話をしていると、会話にはTPOが重要で、その場その時その場合の会話が必要になってくることは分かる。

では、ブログは何を話せばいいのか?

おそらくこれは日記と同じ扱いのことをすれば良いのだと思う。人それぞれ、という答えを私は嫌っているが、ブログに書くことは日記なのだ。日記が他人と同じというのは不自然なことだから、私の私の日記を書いていくしかない。そこで浮上するのが、私の日記とはなにかという話だ。

何を目的にブログを書くのか。まずこのブログの設立理由だが、Twitterやブログで感じていた書かなきゃという気持ちをなくすためのリハビリだ。だから、少しずつ更新をゆるめて、やがては書かない人になりたいと思っている。私が記事を更新するのはどうしても発言したくなってしまったからだ。何と言っても、今読んでいる文章から察するに本当に主張したいことなんてなくて、ただただ言葉を羅列するだけで気持ちが良いと思えるからだ。

子供の頃、友達がいないわけではなかったが、家の門限が厳しくて遊び相手がいなかったので、いつも部屋にこもって人形遊びをしていた。その人形遊びのために人と遊ぶことを断ったことだってある。いつだって頭の中にシナリオがあって、そのシナリオを早く進ませないと次のシナリオに進めなくなるからだ。学年が上がる度、私の中の物語はめまぐるしい速度で進んでいく。物語は止まってくれない。仕方ないから筆を取って書くことにした。最初は絵付きの漫画とも絵本とも小説とも言えない落書きだったが、徐々に形式を取るようになって今に至る。言葉の羅列は私にとって逃げ道だったのだ。

独り言はその一端に過ぎず、余計なことや悪口は頭に浮かんだ言葉を単に口にしただけ。感情が湧き上がれば湧き上がるほどに頭の中は言葉で埋め尽くされて、大当たりをし続けるスロットみたいに口から言葉が吐き出される。怒った時はずっと喋り続けて、吐くものがなくなると途端に黙りだすタイプが私だ。ある程度、満足すれば別のことを考えているので、今こうしている間も満足度は上がり続けている。というかそろそろ満足してきた。

書いたらまずいこととかは書かないようにしているので言葉の間違いくらいは推敲している。文法的誤りに関してはフォローできる範囲内だけだ。本当は思い出すとイライラすることもあるのだが、そのイライラすることについては話したところで無意味なので放っておくことにする。