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あすからがんばる

明日のことは書けないブログ

反社会的な作品は発表しない方が良いのか?

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先日、ある美術館で作品を展示させていただきました。

そちらは別名義で発表しております。

この作品が批判を受けたので、その所感を書きます。

 

どんな批判だったか。

「暴力的で反社会的な作品だ」ということ。

 

この作品は一種のリトマス試験紙なんですが、そういう批判があまりにも多く来たので、それに関して所感を述べることにします。*1

 

 

私の作品は下のエントリで触れたように造形詩です。

北園克衛のプラスティックポエムはもちろん、モホリ・ナギの『光・空間・調節器』にインスパイアされて制作しています。

 

s3.hatenablog.com

 

作品のモチーフは「学校」です。

檻の中に学校用品をいくつも入れて、複数の光源でそれらを投影します。

格子状の影が四方の壁面に投影されることで、観客自身が作品に取り込まれる仕組みになっています。

 

また、二つ目のモチーフがありました。

モチーフの内容は明かしませんが、多くの人々が想起しやすいのは「小学生」や「少女」といったものでしょう。

 

学校用品から小学生の少女を想起させますが、その少女は何らかのバックグラウンドやキャラクター性を持たず、ニュートラルで抽象的な少女として表されます。

 

ニュートラルで抽象的な少女というのは二階堂奥歯の『八本脚の蝶』で示されたようなものだと思ってもらっていいです。

それは無垢で悪魔で天使でいたずらで非日常で無邪気で神秘的で繊細で元気で優しくて残酷で甘えん坊でわがままで弱くて強くて無口でおしゃべりで白痴で悩みがなくて憂いに沈んで無表情で明るくておてんばで物静かでこわがりでなにもこわくなくて何も知らなくて何でも受け入れてくれて潔癖で閉鎖的な性質を持っている。

だから、いつでも一番都合のいい性質が選び取られて、男の人を気持ちよくするために利用される。

作中で言及されるように、『いつでも一番都合のいい性質が選び取られ』ることが重要で、ここに詩情というかインスピレーションがあります。

 

少女という抽象から都合のいい性質が選び取ることができても、檻という具象が手に入れるのを邪魔します。

少女から選び取られた性質によって、各々の想起するものが異なるのです。

 

いらした方の想像したイメージは「圧迫感」「孤独」「疎外感」「懐かしさ」「郷愁」「疎外感」「暴力」「監禁」というようなものでした。

 特に多かったイメージは「犯罪」です。

 

反社会的な作品を作る予定はありませんでした。

出発地点が北園克衛なので、北園が嫌う生活や社会を題材に取り上げたのです。

美術館に展示を観に来る人のほとんどに共通するするのは学校教育を受けたことですから、学校をテーマにしています。

 

展示方法も相まって目眩や吐き気を催す人がおりました。

それは本当に申し訳なく思います。

今度は気持ち悪くならないように作りますのでまた見に来てください。

 

ですが、脱・クワクボ*2という目標を達成できたと感じています。

 

さて、ここからが本題です。

 

反社会的な作品は発表しない方が良いのか?

 

まず結論から言うと、社会批判を伴わない反社会的な作品は発表しない方が良いけれど、発表できる場は絶対に設けた方が良いと考えます。

 

例えば、会田誠は自発的に反社会的作品を展示していますね。

それは彼の父親*3社会学者であることにも起因すると思うんですが、とにかく彼は批評がしたいんだと考えています。

 

だから反社会的な作品で、踏み絵的に社会批判をしているのです。

しかもセンセーショナルに。

これは物議を醸し、いわゆる「炎上」したわけです。

 

でもそれでいいんです、意図した通りなんですから。

じゃあ意図せず反社会的に捉えられた作品はどうするのか。

アートではないと撥ね退けるのか。

 

これはアートのフロンティアの一つですね。

アートと言い張ればなんでもアートになるのが現代です。

もはや言い張らなくても勝手にアートになります。

 

そんな中でアートをするなんて徒労に終わりそうですし、批評もなしに反社会的に捉えられるような作品は作者本人のキャリアにとってマイナスでしょう。

それでも作っちゃうんですよね、そういうの。

 

だから私は、その意図しているところと意図していないところの谷間を埋める作品を作ったんです。

ジャクソン・ポロックですよ(違う)。

 

もしかすると、それは意外なところで意味を持つかもしれません。

あるいは無意味に消えていくのかもしれません。

 

単に規制すればいいわけじゃないし、差別用語を作らなくてもいいんです。

大事なのは意識すること。

 

私の作品に批判をした人は予想された観覧者です。

もし再び私の作品を観ることがあれば、異なる視点で観てください。

異なる意識が生まれると思います。

 

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なお、私の別名義・作品名・展示した会場は訊かれても教えません。作者が語らないことを主義にしています。まあでもやっぱり語りたいので語っているだけなんです。

*1:このエントリは会期中にお返事したことの解説です。会期中は「作者が言うにはそれもまた然りだそうです」としかお返事していません。また、私の代わりに感想を受け付けた人にもそう言うようにお願いしていました。

*2:2017年現在、モホリ・ナギにインスパイアされた作家で有名な方は、クワクボリョウタでしょう。私の作品はクワクボ作品に似ているので、脱・クワクボがここ数年の目標でした。

*3:会田彰(新潟大学教授)