あすからがんばる

明日のことは書けないブログ

iPhoneが死んだ

iPhoneが死んだ。

特に思い入れのあるiPhone6ではなかったけれど、ただのモノに「死んだ」という言葉を用いるほどには使ったような気がする。

 

彼――iPhoneに性別があるのか分からないが――と出会ったのはもう3年も前のことで、ちょうどiPhone6が発売されて一ヶ月ほど経った頃だった。たしか10月だ。3年前の10月に何があったかなんて思い出そうとしても、はたと覚えていない。それくらいに昔のことだというのに、これまたなぜかiPhoneを買ったその晩のことはよく覚えている。

 

その晩は妙に風が冷たかった。私の暑がり症が裏目に出て、薄着をしていたせいもあるかもしれない。……いきなり天気の話だって? いや、これが始まりでいいのだ。思い出は断片的なものだと思うし、この冷たい風が記憶を呼び起こすきっかけになっているのかもしれないのだから。

 

昼頃から私は友人と会っていた。友人は私が構成台本をしているラジオ番組のパーソナリティで、ちょうどその日の収録で新しいiPhoneを買ったということをラジオ内で話していた。

 

「近頃は画面がバキバキに割れたスマートフォンを持っている人が多いですねえ。割れたスマートフォンの大半はiPhoneだったような気がするんですよ」

 

言われてみればそうだ。iPhone以外のスマートフォンの画面が割れているのを私は見たことがない。もしかするとiPhoneの画面というのはとても割れやすいのではないか。

 

「実は、iPhoneは画面が割れても操作できるスマートフォンなんですよ」

 

ははあ。私は膝を打つ。バキバキに割れたスマートフォンiPhoneばかりだ、というのには、他のスマートフォンは画面が割れたら使えなくなってしまうという理由が隠れていたのだ。

 

私はiPhoneを見くびっていた。いや、下に見ていたということはないし、実際その時はiPhone4sのユーザだったし、iPhone4sに不満があるわけではなかったが、……強いて言えば4G回線が使えないこととストレージが容量いっぱいだったことくらいだが、とにかく私は一刻も早くiPhone6を手に入れたいという気持ちになっていた。

 

収録が終わる。私は友人にiPhoneの詳しい話を聞きたくなって、彼を夕食に誘い、その足で国道沿いの家電量販店に立ち寄ってiPhone6を買った。諸々の手続きで1時間も待たせたのは今も悪いと思っている。

 

iPhoneを買った後、定食屋でほっけ焼き定食を食べながらiPhoneの初期設定とかおすすめのアプリとかを教えてもらい、ほっけの脂でTouchIDが認証できなくなったり、ほっけ焼きの皿に付いていたピンクと白の細長い棒の名前が何かを検索したりした。ちなみにあの棒は薑(はじかみ)というらしい。しょうがの若い芽だ。辛くて酸っぱい。

 

買った日の記憶はこの辺りで途切れている。

 

次の記憶はスキー場での話だ。

正月休みに実家の宮城県にあるスキー場へ従弟と行き、そこでiPhoneを落とした。買ってまだ二ヶ月のことだ。リフトを乗り継いでゲレンデで最も高い場所にたどり着き、樹氷がずんぐりとした体躯でいくつも佇んでいるのを見て、早速インスタにアップしようと思った私は、ポケットからiPhone6を取り出そうとして手を滑らせたのだ。東北風に言えば、ほろった、と言う。

 

幸いにも雪の上。iPhoneは白い雪に突き刺さっただけで済んだのだが、iPhoneを拾おうとした私がスキー板をうまく操れず、あろうことかiPhoneをスキー板の裏側で踏みつけてしまう。それでiPhoneの角と画面に傷が付いてしまった。

 

iPhoneの一番の見どころは画面の美しさだと友人から聞いていたので、iPhoneに保護フィルムなど張らずに裸一貫で使っていたのだが、さすがに鋭利な板の縁をこすられればひとたまりもないようだ。

 

ショックな出来事だった。

画面が傷ついてもiPhoneは正常に動いたし、別にそれで困るということもなかったのでそのまま使い続けて、今に至る。正しくは、昨日に至った。

 

昨日の夕方頃にトイレに落とした。いったいどうやってトイレに落ちたのか分からないが、本当に、目を離した隙にポチャリと水音を立てて狭い排水口に挟まっていたのだ。

なぜだ!

 

私はトイレでiPhoneをいじるようなことはしないし、今までポケットに入れていてiPhoneを落としたことなんて一度もなかったというのに、初めてポケットから落とした場所がなぜかトイレで、信じられないことにそこは水の溜まった排水口だったのだ。

 

なぜなのだ!

 

意味がわからない。日本列島を襲った昨日の超大型台風よりも、ことさら激しい嵐が脳内を駆け回っているようだった。

 

と、とりあえずパソコンで「iPhone 水没」と調べよう……。

 

そうして出てきたページを読んで、トイレに落としたら蘇生は不可能だと分かった。だが、最後の望みに賭けて――悪あがきとも言うが――焼きのりに入っていた乾燥剤と一緒にiPhoneジップロックに放り込んで、24時間ほど待つ。

 

そして今日。

iPhone6を袋から取り出して電源ボタンを押してみるが、うんともすんとも言わないのであった。ホームボタンを押しても彼の体は冷え切ったままだ。

 

iPhoneが死んだ。

 

iPhoneは死んでしまったのだ。

ああ、これから私はどうしたら良いのですか。

 

私は関係各所にiPhoneが使えなくなったことを連絡をしようと思ってMacBookAirの前に座った。まずはMacBookのDockから連絡帳を開き、そこに登録されているアドレスに、片っ端から電話とLINEが使えなくなったと伝えることにする。

 

そこで手が止まった。私の普段の連絡手段は電話とLINEではなく、E-MailとTwitterだったことを思い出したのだ。他にも遠方の友人と話す時は決まってSkypeを使っていたので、電話とLINEが使えなくともほとんど困らなかった。

 

外出先での連絡手段は困るに違いない。

他にも、例えば道に迷ったらGoogle Mapsを使いたくなるのは容易に想像できる。ここまで考えてGoogle Mapsを使う機会は早々ないと気がついた。

それじゃあ電車の時間や乗り換えを調べるには……、いや、適当に電車に乗っていれば目的地に着くのだし、乗り換え案内アプリは終電を調べる以外に使ったことがない。

連絡手段だってMacBookAirを使えばいい。Wi-FiがあればMacBookAirから連絡できる。

MacBookがあればシャドウバースだって遊べる。

 

もしかするとiPhoneがなくても特段に困らないのでは?

 

いいえ、現に私は困っているのです。

 

Twitterで誰かが同じ月を眺めてるのも分からない。

Instagramに何も残せないのはもったいない気がする。

LINEでつまらないスタンプを押し合ってバカバカしい気分になったりも、できない。

 

あるのは乾いた世界。

 

iPhoneは繋がるためのメディウム

 

それを失ってしまった今、彼の死は意外と重たいものだったのだと思い知った。

 

ああ。

人との繋がりがこんなにも癒やしになっていたとは。

 

なくして気がつくものがある、なんて誰もが言いそうなことを言っているに過ぎないのは分かっているのだけど、それでもなくなるその時まで分からないものとは、想像しているよりも多くのこと・ものに当てはまるのかもしれない。

 

繋がりを失ってまた気づくこともあるだろう。

私は11月4日のiPhoneX発売日までiPhoneなしの生活をしてみようと思っている。

発見は多い方がいい。

 

 

あ。

そういえば先週からブルーライトカットレンズのメガネに変えたのだ。効果の程は分からない。せっかくならPCやスマホを使ってどれほど有効なのか確かめてやろうと思っていたのだが……。

なんだかiPhoneがないのは残念な気もする。 

 

 

今週のお題「私の癒やし」